2010年08月26日

やっぱ、味覚はロックだぜ!~茗荷について、考える~

人間は考える葦である。

視界に入っているものは正しくは見えるとは言えない代物だ。
センサーである視力や聴覚から得た情報(データー)を
分析し、解析し、判断をする。


たとえば「ここには幽霊が出た」という情報を先に得た人は
「なぜ、ここに幽霊が居たのか?」と考える

その場にあるデーターの中から、
「こんなことがあったからだ」「大勢見た人が居るからだ」というデーターのみを拾い
「見た人がいる「ようだ」とか「「こんなことがあった「らしい」」という
不確定要素を取り除いて、「いる」という「情報」のみを無意識に蓄積し
視界のわずかな「ぶれ(あいまいなもの)」を
「幽霊だ」と「判断」し、
「長い髪の若い女性」と「具象化」する。

これがいわゆる、「幽霊の 正体見たり なんとやら」というやつだ。

ならばこれを利用する手もある。

たとえば、トルソー(彫像)のデッサンをするときには
視界に入らない、その裏側を見て、触ればいい。

ある角度の視界に入ってくる「データー」を
別の角度と別の五感(この場合は触覚)を加えることによって
二次元である視覚に「これは立体である」という「見えない要素」を
新たなデーターとして加えてやることだ。

硬いのか?やわらかいのか?
目では見えない窪みやふくらみを新たな情報としてキャッチした脳は
再び同じ位置に戻って「見る」時、
これまで見えなかったものが見えてくる・・・・・・・

「見えないもの」が「見えてくる」のは
「見えたもの」の中から「知りたい情報」を
脳の中でピックアップした、ということ。

人間は本来、「見たいもの」しか見えてこない、
生物なのかもしれない。


で。





山菜探しは最たるものでありまして。

茗荷竹の根元の土を押し上げて生える彼らは
探し始めて一、二分はまったく見つからない。


その次に、「育ちすぎて花が咲いちゃった」
日陰に浮かぶ「白い花」が視界に飛び込んでくる。

「あ、生えてるんだ。」

一度ロック・オンした「茗荷データー」は
「あったらいいな」から「ある」に移行し、


さんざんさっき見たはずの茶畑の茂みの、わずかに土が盛り上がった
五ミリほどの先端が目に飛び込む。

うほほー 豊作豊作。



で。



脳との感覚器との繋がりのお話し。

オーナー「紫蘇ジュースの濃度、決めておかないとね。」
そだね、でも今手が離せないから、後でね。
オーナー「うーん・・・二分の一だと薄いし・・・・三分の一・・。」
いっそ「ロック」にして、水を渡して自分で調整してもらったら?←飲み助の理屈。



(時間経過)ああー暑い! 喉かわいたぁ!!!



あ、この「ド赤紫」、例の「紫蘇ジュース」ね?

甘いんだよね?甘いのちょっと苦手だから、
とりあえず氷、がんがん入れて、ロックでぐぐっと!

グラス二つ並んでるけど、濃度が違うんだろうな。

はい、ぐぐーっと、一気ーーーーーーー!!!!!

・・・・・・・・・・・。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。



ぐあぁあああ!!!!


オーナー「あ、それ、梅干つけたあとの「梅酢」。」





初体験。

脳が「これは甘いジュース」と信じきっていたものが
「強烈に塩辛くてすっぱい」というギャップ。

梅干、すっぱい物は大好き。
甘すぎるものはご勘弁。

という「脳」が騙されたとき、体(五感)はどのような反応を示すのか?


ここまで、

内臓が「ぎゃいん!!!」

って音を立てたのを始めて聞いたよ!!!



人間は考える葦である。

しかし

情報に流されてはいけない。

脳を騙すことは安易だが
感覚器をごまかすことは容易ではない。




茗荷を採って考える。

考えないほうがいい事もある


ps:(胃を押さえながら)・・・・・・・・ノーコメント・・・・。

                 菜園:みー。




  

Posted by 菜園  at 22:26Comments(2)雑記